#5北海道のエゾシカを原材料にしたペットフード南富フーズとのコラボ秘話
勘違いが功を奏した?
門前払いを受けながらも熱意伝えまくったら協業が実現した!
僕たちは北海道のエゾシカを原材料にしたペットフード事業にも取り組んでいます。「なぜ北海道のエゾシカ?」「なぜペットフード?」など疑問を持たれる方もいると思います。
僕たちがペットフード事業をできるようになるまでにもいろんな物語があるんですよ。今回は僕たちがどのような背景があってこの事業をやることになったのかお話ししますね。
システム導入の依頼を受けて北海道へ。雑談からエゾシカによる食害について知る。
2020年、北海道の福祉事業所から、僕が運営している障がい福祉事業者向けのシステムについて問い合わせがあり、説明のため現地に向かいました。
たくさんお話しする中で、北海道ではエゾシカによる食害に農家さんたちが苦労していると聞き、何か就労継続支援B型でできることはないのかと思ったんです。
その事業所さんにご協力してもらい、害獣として駆除されたエゾシカ肉を有効活用したペットフードを製造している会社へ見学に行くことになりました。
そこは南富良野町にある南富フーズ株式会社。新千歳空港から車で2時間ほど行ったところにある北海道のど真ん中に位置している会社です。
南富フーズ社長である糠谷雄次さんは、僕にわかりやすくエゾシカの害獣被害の現状、駆除したエゾシカをペットフードにしようと思った背景などを教えてくれました。僕はとても感動し、いつか関わりたいなと思い、北海道を後にしました。
ペットフード事業の最重要人物との出会い。過去の経験を活かして担当してもらうことに。
僕たちが南富フーズとともにペットフード事業を行うにあたり、瀬戸さんという男が重要な人物となります。
瀬戸さんとの出会いは2020年。僕が40歳以上の選手を集めた軟式野球チームに入団したときです。
瀬戸さんがピッチャーで、僕がキャッチャー。
最初は野球以外の深い話をすることもありませんでした。当時、彼は今後の人生においてどうゴールテープを切るか悩まれていて、僕たちには見せませんでしたが、精神的にとてもしんどい時期で、退職も考えていたそうです。。
ある食事会で一緒になったとき、僕が楽しそうに仕事の話をしているのを見て、色々悩みを打ち明けてくれました。
そこから2ヶ月半、悩みや自分自身にとって輝ける人生とは何か、今の障がい福祉の現状など、たくさんお話したことを覚えています。
彼の前職は食品関係の会社だったんですけど、当時コロナが大流行し、ペットを飼う人が増えていました。そこで「もしかしたら、南富フーズと一緒にペットフード事業ができれば、彼のキャリアも活かせるんじゃないか!」と思い、彼の退職翌日から僕の会社に入社してもらい、ペットフード事業を担当してもらうことにしました。
南富フーズとの協業を実現するために毎月北海道に通うが約1年間実質門前払い。
事業を立ち上げた後、本格的に北海道のエゾシカを使ったペットフードに関われる仕事をいただくために、再び南富フーズの糠谷社長のもとに向かいました。
僕には野望があったんです。それは南富フーズの大阪工場を作って、大阪でペットフード商品を製造・販売し、その過程で障がいのある方が従業員として働くこと。
この提案に関しては糠谷社長も賛同してくれました。
ただ、当時はまだお互いの信頼関係が築けてなかったので、南富フーズの企業秘密の製法を教えてもらうことができず、門前払いを受けたんです。
それでも僕は諦めませんでした。この野望を実現すべく、それから毎月北海道に通い、プレゼン資料も作って想いをぶつけることにしました。
「障がい者にも仕事を与えなければいけないことには賛同するし、ぜひ協力したい。でも大阪で鹿肉を使ってペットフードを製造・販売するのはそんな簡単なことじゃないんだよ。鹿を撃ち、捌いて加工するという一連の流れを全部見ないとお客さんに商品の説明ができないからね。」
糠谷社長から説明され、またまた門前払いをくらったのです。
でも、糠谷社長の優しい門前払いは僕を勘違いさせ、むしろ「手応え」になっていました。だから実現するまで心折れずに毎月北海道に通うことができたと思います(笑)。
これは後から知った話なんですけど、南富フーズの副社長も当時は僕のことを信じていなかったと聞きました(笑)。
糠谷社長の壮絶な被災経験。そりゃあ部外者を簡単に受け入れられないよな…。
そんな南富フーズの糠谷社長、実はものすごい経験をされているんです。
糠谷社長はもともと南富良野のJA職員でしたが、狩猟免許を持っていたということもあって、JAを早期退職して青果物販売とエゾシカの精肉商売を始められたんです。
ところが2016年8月、台風10号による大雨で川が決壊し、事務所や工場は1m70cmほど浸水して冷蔵庫や什器がすべてダメになったそうです。
「もう辞めようかな…。でも、従業員を守らなければいけない!」と再起し、また一から会社を立て直す決心をされ、南富フーズの新社屋を建設されました。
その後も、たくさんの苦労があった中で、大阪のある会社に騙されたこともあったそうです。
こんな苦労をされている中で、急に大阪から来た僕が「一緒にやらせて下さい」と言うものだから、すぐに信用できるわけないですよね。
糠谷社長は時折障がいのある方への理解を示すことがあったのですが、青果工場を運営されていたときに、障がいのある方を雇用されていたんですよ。だから、僕がペット事業で障がいのある方の就労先として大阪で工場をつくりたいと提案したとき賛同してくれたんです。
熱意を伝えまくってチャンス到来。エゾシカのすべてを知るべく「若いの」を北海道に送りこむ。
そんな経緯を知らないまま僕は、さらに熱意を伝えるために、エゾシカをペットおやつに加工する機械を購入したり、僕たちのオフィスに南富フーズのショールームを作ったりもしました。しかもほとんどが事後報告で(笑)。
そして通い始めてから約1年、糠谷社長からこんなことを言われたんです。
「本気で一緒にやるんだったら修行が必要です。大阪から北海道にスタッフを派遣しなさい。0から10までのすべてを知らないと仕事はできないから。」
僕たちの熱意が伝わり、一緒に仕事をやらせてもらえるチャンスをいただけたんです。
そんな言葉に対して僕は即答しました。
「はい!若いの行かせますんで!」
「若いの」とは僕の中では瀬戸さんしかいないと思っていました。まあ、彼は僕よりも年上なので「若いの」と聞いたときに「俺じゃない」とホッとしていたみたいなんですけど(笑)。
そして、エゾシカがたくさん現れる5月、瀬戸さんは北海道で南富フーズの従業員とともに、半年ほど修行することになりました。
そのとき、僕が瀬戸さんに課したミッションは「家族になって帰ってくること」。技術を盗むとかそんな話ではありません。「一生の信頼関係を築いてほしい」とお願いしました。
実際に北海道に行くと、瀬戸さんは一生懸命仕事に取り組み、糠谷社長にも認めてもらえるようになりました。週末は大阪に帰ってきていたんですけど、月曜日に北海道へ戻ると、工場近くのコンビニの店員さんに「おかえり」とも言ってもらえていたらしいです(笑)。街ぐるみで家族になれたということですね。
こうして関係を築き、2022年の12月に南富フーズの大阪工場を開設し、本格的にペットフード事業に取り組めるようになりました。
ゴールは障がいのある方が工場で従業員として働くこと。唯一無二のペットフードを実現したい。
今、瀬戸さんは狩猟免許の取得を目指しています。
福祉×エゾシカのペットフードは他の福祉施設でも事例があります。その中で僕たちは、狩猟から加工までのすべてを自社で行なえるようにして唯一無二を実現することで、お客様に説得力を持って販売することができると思ったんです。そして、お客様が弊社商品のファンになってくれるとも思っています。
このペットフード事業で売上を伸ばし、障がいのある利用者さんを大阪工場の従業員として雇用すること。それがSHINDENと南富フーズの最終的なゴールと考えています。