#4障がい者がワクワクする未来をつくる5本指タイプWグリップソックス「TOP‐A」
因縁のライバルがタッグを組むことに。
アスリートと障がい者の両方の夢を応援する靴下事業!
2023年の秋、僕たちは靴下事業に参入することを決めました。その靴下の名は「TOP‐A(トッパ)」です。
「靴下!?福祉事業と関係なくない?」って思う人もいるんちゃいますかね?
実はこの「TOP‐A」も障がいのある方々の仕事としてやりがいになり、元気付けられるに違いないって思ってるんですよ。しかもこの靴下はただの靴下じゃないんです。
今回は僕たちがなぜ靴下事業をやることになったのか、どう福祉事業と関係しているのかなどについてお話ししますね。
これまでにない革命的な靴下をSHINDENの事業に。二人の男との奇跡的な出会いがきっかけ。
「TOP‐A」はスポーツ用の靴下です。
スポーツ用の靴下なんて世の中にたくさんあるけど、この靴下は唯一無二のもの。5本指で、足の裏と甲の両面に細かくグリップが付いているんです。
もうね、グリップ力が強くて全然滑らないんですよ。MLBや侍ジャパンで活躍する選手にも使っていただいていて、今では100人以上のトップアスリートに広まってきています。
最大の特徴は特許を取得していることです。ただ、特許を取得しているのは僕じゃありません。開発者は吉川哲弘さんという方なんです。
なぜ吉川さんが特許を取るに至ったかというと、吉川さんの子どもがよちよち歩きの赤ちゃんだった頃、赤ちゃん用の靴下に滑り止めが付いているのを見て、「これ野球用の靴下でも使えるんちゃうん?」とひらめいて、開発をスタートしたそうです。
最初は作ってもらえる工場探しからのスタートで、なかなか話を聞いてもらえず、月日が経っていったそうなんですが、熱い気持ちは冷めなかったそうです。
無事に製造してもらえる工場と巡り会い、試行錯誤を繰り返して商品が完成。満を持して特許も申請したが、今度は販売する方法がわからない。
吉川さんの弟さんが上宮高校で、春の選抜で優勝したときのメンバーだったこともあり、弟さんの繋がりであるプロ野球選手と巡り会い、そこから徐々にプロ野球界に広がっていったそうです。
余談ですが、コラム②で紹介した「Baseball team NINE」の監督である元オリックスの宮﨑裕樹さんが現役当時、とても靴下にこだわりがあり、この靴下に出会った瞬間に衝撃が走ったそうです。
そこから、宮﨑さんがこの靴下をたくさんの選手に紹介してくれたそうです。
一人で靴下の製造や販売をやっていた吉川さんは、ここに至るまで大変苦労されていたそうですが、そんな吉川さんのおかげで僕たちが靴下事業に取り組むことになりました。
あと、靴下事業の社内担当は岡原さんという方なんですが、それにも奇跡的な偶然があるんです。
ある企画を機に因縁のライバルと交流。大嫌いだったけどすっかり仲良しに。
僕は、「新田クラブ」というチームで草野球をやっていたんですけど、大事な大会の準決勝あたりで毎回「ナック」というチームと対戦していました。この「ナック」の監督が吉川さんでした。
当時は僕のオトンが「新田クラブ」の監督をやっていたんですけど、僕もオトンも「ナック」のことはめちゃくちゃ嫌いでしたよ(笑)。いっつも大事なところで当たるんですから。
そんな因縁のライバルである吉川さんと僕が初めて交わったのが2017年。「トクサンTV【A&R】」というYouTuberが東京で草野球の選抜チームを作るという企画を始めたんです。
それがけっこう流行って、関西でも同じ企画が始まることになりました。その関西草野球の選抜チーム(SWBC)の監督として声をかけられたのが僕と吉川さんです。それまでまったく話したことがなかったけど、この企画を機に僕たちは初めて話すことになります。
活動は月1回くらいのペースであり、しかも丸一日ずっと一緒にいるので、僕たちは徐々に打ち解けて、仲良くなっていきました。
種子島で野球教室開催。子どもたちに野球を好きになってもらいたい!
2022年、僕たちは社会人野球チーム「Baseball Team NINE」の創部を考えていました。吉川さんはノックがめちゃくちゃうまいので、「チームを作るときのトライアウトでノック打ってください」と相談するなど、チームづくりを手伝ってもらってたんですけど、2023年に吉川さんが「種子島で甲子園に出場したり、プロになったりする選手を育てたい」という野望を抱いて移住しはったんです。そこでひらめきました。「『Baseball Team NINE』のキャンプを種子島でやったら面白いんちゃうん!?」って。
でも、せっかく種子島に行くんやから、ただ練習するだけのキャンプじゃもったいないし、「Baseball Team NINE」監督の宮﨑祐樹さんは元プロ野球選手だったので、子どもたちに野球に興味を持ってもらえるような野球教室も開催することにしました。
それに、子どもたちに「野球の力はすごい!」と思ってもらいたかったので、「野球教室の司会者が悪人に襲われて、ヒーローが野球の力で悪人を倒す」という斬新な戦隊ショーも企画したんです。
野球教室当日に向けて、ポスターも空港や港など種子島の街中に100枚ほど貼ってもらうことができて、その効果もあって野球教室当日はすごいいっぱいの人が来てくれましたね。戦隊ショーも大盛り上がりで終えることができて、種子島でキャンプやって本当に良かったと思いました。野球教室終了後は子どもたちが「Baseball Team NINE」の選手にサイン書いてもらって大喜びしてくれてたのも印象的で。
こんな感じで種子島でのキャンプと野球教室は満足のいく形で終えることができました。
まさかのオトンがキューピット!?一つの支援から着火して靴下事業を開始することに。
実はこの種子島キャンプ、僕のオトンも行ってるんです。しかも僕や選手より先に前乗りして(笑)。
僕たちと吉川さんがバチバチだったとき、「新田クラブ」の監督は僕のオトンだったから、オトンも吉川さん率いる「ナック」のことをライバルだと思っていました。僕と吉川さんはSWBCで仲良くなっているんですけど、このとき吉川さんとオトンが初めて会話したみたいです。
オトン「お前のこと嫌いやったわ〜」
吉川さん「おっちゃん、俺もでしたわ〜」
なんてね(笑)。
そんな種子島キャンプが終了して大阪に帰ってくると、オトンから「吉川の夢はこれからも応援せなあかんぞ。」って言われたんです。
キャンプのお礼も兼ねてもう一度種子島の吉川さんのもとを訪れることにしました。そこで、「吉川さんの特許技術を活かした靴下事業を僕たちの会社に任せてもらい、吉川さんには子どもたちの育成に全力で取り組んでもらいたい」と提案しました。
吉川さんも僕の提案に快諾してくれて、僕の会社で靴下事業に参入することになりました。
吉川さんの快諾後、すぐに当時僕の会社に入社したての岡原さんに連絡しました。
「岡原さん、唐突ですが靴下事業を担当してくれませんか?」
すると、「ええで。俺、前職で20年間靴下の仕事やってたんやで」
なんと岡原さんは前職で靴下の企画・製造・販売の仕事を全部やってたんです。僕は、岡原さんの前職の業務も知らずにお願いしたんですが、これって奇跡的じゃないですか!?(笑)。
これで吉川さんの夢を応援できるし、岡原さんが輝ける仕事も用意できました。
障がい者が靴下に刺繍を入れて選手に手渡しする。そんなワクワクする未来を夢見て。
これからは、「TOP‐A」の靴下を多くのトップアスリートに使ってもらいたいのはもちろんなんですけど、利用者さんに選手の名前や背番号を縫ってもらいたいって思ってるんです。岡原さんは言いました。「選手が作業所を訪れて、利用者さんが選手の目の前でミシンで縫い、直接選手に渡すという仕組みを作りたい。」と。
めちゃくちゃいい考えだと思いませんか?僕は賛同し、速攻で経営会議で承認を取りました。
こんな形で福祉とスポーツが融合できれば、障がいのある人たちももっとワクワクできると思うんです。
これは僕の会社に限ったことではありません。全国の福祉事業所にミシンを導入してそこの利用者さんに縫ってもらうという未来も考えています。
こんなワクワクする世界を僕は夢見ています。