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救うつもりが救われた すべての出会いに意味がある

独立から数年後、決して順風満帆には行かないなりにも、仕事と趣味の野球を楽しみに日々過ごしていた。
 
そんなとき、知り合って間もないある友人から僕の元に一通のショートメッセージが届いた。
 
「築、助けてくれ」
 
どういうことかすぐには理解できず僕は慌てまくったが、「助けて欲しい」というのは「お金を貸して欲しい」ということだった。その額は僕の貯金では到底足りないほどで、理由を問いただすとギャンブルで借金をつくってしまったのだと。いわゆるギャンブル依存症だったのだ。しかも、複数箇所から借金をしていて首が回らない状態。違法な取り立てにもあっていた。
 
ある日、僕とその友人が一緒にいるところに取り立てがやってきた。激しい取り立てから逃れようと、僕は取り返しのつかないことを口にしてしまった。
 
「僕が全額返済します。」
 
それからは、友人が借りたお金を返すために、事業所の運営に加えて夜間は介護施設でオムツ交換のアルバイトをするようになった。僕が借金を肩代わりしてしまったことは誰にも言わなかった。
 
アルバイトを続けること約5年。夜中になると頻繁に家を抜け出すものだから嫁に怪しまれ、嫁から様子を聞きつけた弟の武志と後輩の健治に呼び出されて理由を聞かれた。
 
「ちょっと経営が厳しくてな。アルバイトしてるねん。」
 
到底アルバイトでは返済し切れない額の借金を肩代わりしてしまったとは言えずにはぐらかす僕を見て、彼らは何か大変なことを抱えていると直感したようだった。
 
ついに僕は、本当のことを話した。すると彼らはまるで自分事のようにこれからのことを考えてくれた。そして「アルバイトは辞めて、一緒にビジネスを広げて返済しよう」そう言ってくれたのだ。
 
そのとき、ずっと張り詰めていた感情が爆発して、涙が止まらなくなった。僕はもう精神的にしんどくなっていたのだ。
 
彼らのおかげでもう一度頑張ろうと思えた瞬間だった。
 
そして、新たな会社を設立しようと考えていたとき、キーマンとなる一人の男、御勢建太(現取締役)に出会った。
 
御勢との最初の出会いは軟式野球SWBC関西チームが発足したとき。僕がコーチを務め、御勢が選手として入団してきた。少しぶっきらぼうなヤツだったが、根っこにある彼の優しい部分に気づいていた。
 
 
彼は当時、運送業界に勤めていた。トラックで高速道路を運転していたら、目の前に別のトラックが現れて急ブレーキをかけた。タイヤの摩擦で煙が上がったがなんとか衝突は免れたと思いふと顔を上げると目の前にそのトラックはいなかった。
 
過酷な労働で幻覚が現れるようになっていたのだ。
 
それほど追い込まれている御勢をなんとかして救う手だてがないか考えを巡らせていた。
 
彼は野球が大好きだったが、大学ではうまく自分を表現できず野球とともに大学も途中で辞めてしまった。そこから職を転々とし、当時のトラック業務でも大変な思いをしていた。
 
僕は、彼の真面目で優しい部分を知っていたので、よいパートナーになってくれると確信していたし、いずれ社長になれる人材だとも思っていた。これまで僕は誰かのサポートをすることがほとんどだった。でも、僕が会社を立ち上げて事業を大きくしなければギャンブル依存症の友人も過酷労働で苦しんでいる仲間も救えない。仲間を助けるために僕は株式会社SHINDENを設立した。
 
ただ、こうして僕が救いたいたいと思った人に寄り添えているのは、武志や健治の救いがあったから。知らず知らずのうちに救うつもりが救われていたのだ。
 
僕の借金は無事完済した。
 
今、こうしてSHINDENという会社で輝けているのは、これまでに出会ったすべての人がいたからである。
 
「すべての出会いに意味がある」
 
この想いを胸に、これからも出会った人みんなが幸せになれるような事業を目指し、福祉の心を貫いていく。