「I am ジャパニーズガーデナー!」 それが僕の福祉の原点
ここは異国の地カナダのバンクーバー。アメリカ大陸の西側に位置し、イギリス調の綺麗なガーデニングの街としても有名だ。
僕は、空港から1時間ほどのノースバンクーバーという地域でホームステイをするのだ。このインターホンを鳴らすといよいよカナダでの生活が始まるんだ。
家の中からはワイワイとパーティを楽しむ外国人の声が聞こえてくる。
英語が全く話せない僕にとって、未知なる世界。よりによってこんなときに大人数のパーティを開催しているなんて。さすが外国や。何においても最初が肝心。つかみの挨拶は3パターンほどアイデアがある。だがしかし、シミュレーションはどれも大失敗。「やべー」と腕を組み、空を見上げ、考えること5分。
おもむろにスーツケースを開け、オカンから手渡されたお守りを見ながら、カナダ出発の日のことを思い出していた。「何か困ったときがあればこれを被って爆笑させるのよ」と渡された馬の被りもの。大阪ならではの文化なのか?
「よし、これしかない」
パーティは終わる気配なし。意を決した僕はそれを被って、ドアノブを握りしめ「ふぅー」と大きく深呼吸。そして、勢い良くドアを開けた。
当時若干19歳の出来事。
実は高校を卒業してすぐにカナダのバンクーバーに移住した。
きっかけは高校の修学旅行。カナダに行ったものの観光はまったくなく、体育科の僕はスキーのインストラクターの資格を取るのみの行程。せっかくカナダに降り立ったのにもかかわらず、現地の人と喋ることさえもできなかった。「せっかくカナダに来て、スキーして終わりかーい(涙)」と後悔が残るまま帰国。
その後悔が晴れることなく、「高校を卒業したらまたカナダに行くんや!」と決意し、その夢を叶えるためにアルバイトを開始した。
結局30万円しか貯まらず、そのうちの15万円でエアチケットを購入した。手持ちの15万円ほどを握りしめてカナダのバンクーバーに行くことになった。同級生には「最低1〜2年はカナダに住む」と豪語していた手前、15万円では到底足りるわけがなく、「どうしよう…。どうにかして仕事探さなきゃ。」と考えながらふと街並みを見た。庭がすごく綺麗だった。そのとき稲妻の如くひらめいた。
「ガーデニングの仕事って俺でもできんちゃう!?」
すぐにホームセンターに行って枝切りバサミを購入し、早速営業開始だ。
(ピンポーン)
築「ハロー!」
家主「Hello.」
築「 I am ジャパニーズガーデナー! プリーズギブミーアジョブ!」
家主「No thank you.」
案の定断られまくった(笑)。
でも、何回も何回もピンポンを押しているうちに、やっと仕事をいただけるようになってきた。ちなみに、ガーデニングに関してはまったくの素人(笑)。
仕事を始めて3ヶ月ほど経ったある日、お客さんである老夫婦に「もうガーデニングの仕事しなくていいよ」とまさかのクビ宣告!?「何か悪いことしたかな?(汗)」と思い、恐る恐る理由を聞いてみたところ「あなた面白いから、仕事よりもいっぱい喋りたいのよ」と言われたんです。ズコー!
そこで、僕はあることに気が付いた。「OK」と言ってくれた人たちは素人庭師の僕に庭の手入れを期待しているのではなくて、一生懸命仕事をもらおうとしている僕の姿に応えてくれただけだったんだ。
これに気が付いた後はずっとお喋り祭。「お金なんていりませんよ〜」や「僕はずっとここでおばあちゃんとお話したいです。」と言いまくり。そんな見え見えのリップサービスはお客さんに大ウケで、「嬉しいこと言ってくれるわね~」と喜んでくれた。
こんな感じで続けた結果、ご飯をいっぱい食べさせてもらったり、綺麗な庭園で紅茶を飲ませてもらったり、ときには教会に行ってバンドのメンバーに入らせてもらったりと、たくさん楽しませてもらった。
3ヶ月ほど経つと、地域で「中本築を永住させよう」みたいなコミュニティもできていた。僕もカナダにずっと住み続けたいと思っていたから、「永住する」と決意した。
カナダに永住するにはたくさんクリアしていかなければならないことがあった。中でも、ボランティアを250時間以上しなければいけないルールには驚いた。しかも、カナダは日本と違って誰でもボランティアに参加できるわけではなく、面接や場合によっては筆記試験に合格しなければいけなかった。ドヒャー!。
ろくに英語も勉強せずにカナダに来てるから「絶対受かるわけないやん。これじゃカナダでの永住は無理だ…。」と絶望。でも、ラッキーなことにガーデニングの仕事を受け入れてくださった高級住宅街の住人たちは、何かと影響力のある人たちで、その人たちの紹介だからとすんなり福祉のボランティアに合格することができた。
カナダでのボランティアは、障がいのあるみんなでレモネードを作って販売したり、バザーをして工賃を稼いだり、綺麗な景色を見ながら車椅子を押したりと、僕にとって毎日が新鮮でとても楽しかったし、それ以上に、ことあるごとに「Thank you」とたくさん言ってくれることがとても嬉しかった。
そうして、楽しみながらボランティアに参加でき、無事250時間のノルマも達成した。
少しずつ福祉に興味を抱いていた僕はふと「日本とカナダで福祉に関する法律の違いってあるんかな?」と疑問に思い、図書館に向かった。
日本の障がい者基本法に関する本を見つけたのだが、そこに書かれていた「障害者基本法 第2条 第2項」にすごく衝撃を受けた。その内容を要約すると「障害っていうのは車椅子に乗っているから障害じゃない。スロープやエレベーターを設けることで障害は消える。」というニュアンスの文章で、それを見たとき「日本にはこんな素晴らしい考え方・法律があるんだ!すごい!」ってめちゃくちゃ感動してね。
同時に「こんな素晴らしい法律がある日本に戻って、日本の福祉のために自分の身をささげて、天命をまっとうしたい」という気持ちが湧いてきて、日本に帰国することを決意した。
当時の僕は家族を持っていたわけでもなく独り身だったから、カナダに永住することもできた。でも、日本でオトンとオカンに育ててもらったから、日本に戻り、日本の福祉に貢献したいと本気で思った。
カナダは本当に居心地が良かったから「帰りたくない」と思う自分がいたのも事実。でも「僕が生まれた理由は、日本で福祉をやってみんなを幸せにすることだ」っていう決意は今でも変わっていない。
自分のために生きる人生は日本への帰国と同時に終わりを告げた。それからは「福祉のために、生きづらさを抱えた人たちのために生きていこう」、そんな気持ちになった。
カナダでの生活が福祉をスタートするきっかけになった。カナダで始まった「I am 庭師 」が「I am 福祉」に変わった瞬間。いよいよ中本築の福祉人生日本編のスタートです。