時代が味方した 「築流」を貫く覚悟を決めた日
実際に働いてみると、機械に向かって毎日同じ作業の繰り返しで、鉄工所の仕事が何一つ面白いと感じられないことに気付いてしまった。1分が1時間に感じ、1時間が10時間にも感じる。唯一の楽しみはお昼ご飯のみ。
しまいには鉄工所にグローブとボールを持っていく始末。親父には「なんで勝手に仕事抜け出してマクド食いにいくねん」「なんで職場にグローブ持ってくんねん」と呆れられてばっかりで、僕もこの仕事に飽き飽きしていた。
このままこの仕事を続けられるのか?自問自答を繰り返したが、1ヶ月も経たないうちに 「俺、やっぱり人と関わる仕事がしたい。すなわち、福祉なのか?」と考えるようになった。
その想いは日に日に強くなり、「障がいのある利用者さんが仕事をして賃金を稼げる仕組みがあったらいいのに。そうしたら、そこで働くスタッフのモチベーションも上がるのにな」と漠然と考えもしていたが、当時はそんな取り組みをしている事業所はなかった。「そうや!自分で作ったらいいんや!」。
そう決意した半年後、僕は本当に福祉作業所を作った。そしてすぐに地域の会社に利用者さんができる仕事をいただけるよう営業周りをし、僕も利用者さんも一生懸命仕事をして賃金を稼いだ。
独立して2年後、これまで通所するだけの役割だった障がい福祉サービスに、利用者さんが作業をして工賃を稼ぐ「就労継続支援B型」という国の新制度ができていたことを知った。
カナダの図書館で読んだ「障害者基本法」、1981年にWHOで発表された「完全参加と平等」が、日本にもやっと「就労継続支援B型」という形で追いついてきたこを実感した。
「この制度があれば、もっともっと利用者さんに仕事を与えられるし、障がいのある人の自立も夢じゃないぞ!」
20代半ばの僕が「築流」の福祉をスタートした瞬間だった。