演歌が人生を変えた!? 小学生で見つけた感動の方程式
うわーめっちゃ嫌やわこの感じ…緊張する…なんで俺がこんなにたくさんの大人の前で演歌を歌わなあかんねん!オトン勘弁してよ~(涙)
でもちょっと待てよ。これは俺にとってリベンジする最高の場だ。
大丈夫!よし!
「~~~♪♪」
これは僕の価値観が大きく変わった瞬間の話。
僕の父は自営業、母は専業主婦。授業参観には毎回来てくれた。それが嬉しかったし、そんな両親のことが大好きだった。
授業参観では両親に喜んでもらうため、調子に乗って「ハイハイハイハイ!」とわかりもしないのに手を挙げ、先生から当てられると意味不明なボケ回答を披露した。僕の両親はもちろん爆笑。他の親御さんやクラスメイトも爆笑してくれた。大阪ならではの笑いの文化も相まって僕のボケ回答は先生も含めてみんなから受け入れられたのだと思っていた。
僕はこの気持ちよさを味わうことばかりを考えてボケ回答を連発。でも、何回か授業参観を重ねていく中で説明しにくい違和感を感じた。周りの笑い声がいつもと違う。モヤモヤしながら日々過ごす中でついに気づいてしまったのだ。
自分のことばかりで相手の満足も考えたボケ回答ではなかったのだ。
「よし、次は授業参観に限らずボケれるチャンスがあればみんなを満足させたる!」そう意味不明な決意をしたのを今でも覚えている。
小学生の頃、入団している野球チームや父の会社の忘年会・新年会など、大人が集まる会合によく連れ出されていた。そんなあるとき、父からの無茶振りで大人の前で演歌を歌わせられる羽目になった。それが冒頭でのシーンである。
壇上から見た景色は当時の小学校高学年だった僕には酷な状況だった。目の前にはたくさんの大人がいて、僕に注目している。「何が始まるんだ?」とあたかもお手並み拝見という雰囲気も漂っていた。
演歌なんて歌いたくない。自分の好きな歌を歌いたい。だから、「もうええって!」とオトンにキレて歌わないこともできた。しかし、それはしなかった。
忘れもしない授業参観で味わった自己満足でしかなかったあの悔しさがあり、この機会はリベンジのチャンスと思ったからだ。さぁここから頭をフル回転した。
「小学生の自分に対して、大人たちは『どうせアニメの主題歌を歌うだろ』と思ってるんやろな。大人の前でド演歌を歌えば満足してくれるやろ!」と子どもながらにこんなことを考えていた。(笑)
結果、予想以上の大盛況。そこにいた大人たちは大盛り上がりで僕の歌を喜んでくれた。その様子を見て僕自身も嬉しくなり、無事リベンジを果たせた高揚感を今でも鮮明に覚えている。
そして、この時僕は一つの分析をした。自分の好きな歌を選曲せず、まさかの演歌を歌って喜んでもらえたのは大人たちの予想を超えたからだと。
しかし、その後も頭の片隅でずっと考えていた。「予想を超える出来事は日常生活でたくさんあり、それだけで大人たちがあれだけ喜ぶとは考えられない。何か別の要因もあるのだろう。」と。
その結果、僕が気が付いたのは「世間が求めているもの」でなければならないこと。「予想を超える」だけであれば、英語の歌でも良かったかもしれない。しかし、英語の歌を歌っても喜ばれるとは考えられない。あの場で大人たちが大好きな演歌を歌ったから大盛り上がりが生まれたのだと確信した。
「『世間が求めているもの』×『その予想を超える』」。それは多くの人に『感動』を与える。この方程式に気が付いたとき、小学生の僕の価値観が変わった瞬間だった。
僕が福祉事業に従事することになったのは、こういった子どもの頃に経験した出来事がきっかけだったように思う。